interview on 2020.8.24
春日に関わる人たちに話を聞いていると、よく耳にする言葉がある。「おばあちゃんたち、素敵だよね」「いいよね、あのおばあちゃんたち」。
”おばあちゃんたち”とは、春日地区で暮らす60代~90代の女性からなる「むかし美人の会」のこと。月1回ほど集まり、食事しながら若者も含めて交流したり、時にはおでかけしたり。また、春日で長い年月を生きてきた経験から、地域を盛り上げる取り組みにアドバイスいただいたりもしているとのこと。
みんなが大好きだというおばあちゃんたち、どんな方々なのだろうか。実際に会ってみるべく、交流会に参加させていただくことにした。
※実際には「むかし美人の会」の皆さんは佐賀ことばで話していますが、共通語に変換して記載しています
かざりっけなくて、あったかいおばあちゃんたち

交流会の会場は、嬉野町立吉田小学校春日分校の廃校舎を再生したカフェ「分校Cafe haruhi」。中に入ると既におしゃべりが盛り上がっていて、とても賑やかだ。「むかし美人の会」全員で11人のうち、今日は6人集まっている。
「今日、あの人は?」「足のリハビリだって」
「あの人は来てないの? アンタの大好きな(笑)」「いやーん、好かーん(笑)」
冗談が飛び出し、ワハハハと笑い声が店内に響く。参加を強制されるわけでもなく、でもみんな集まるのを楽しみにしている、緩やかな会だ。
メンバーのほとんどが、春日以外の地区からお嫁に来て数十年住んでいるという。昔からこんなに仲が良いのだろうか。
「ううん、以前は会えばあいさつする程度。こんなに話すようになったのは、この会ができてから。今となっては、毎日のようにおしゃべりしているよ。 1時間はしゃべるよね(笑)」この方は、会が発足してからというもの、愛犬の散歩中にメンバーの自宅に立ち寄るようになったという。
それを聞いたharuhi店長(20代)が「春日は坂道が多いのに、毎日散歩するなんてすごい! きっと私より足腰は強いですよね」と言うと、すかさず「そりゃあ、アンタたちよりはね!」「いつも車ばかりでしょう?」「そうそう、 もっと歩かないとね!」と抜群のチームワークと俊敏さであちこちからツッコミが入り、どっと笑いが起きた。その勢いに最初はちょっとびっくりする(笑)。かざりっけなく、しかし、どこまでもあったかい、これが”春日のおばあちゃん”の魅力なのだろう。
ありのままでいると、自分もみんなも幸せ

皆さんは、こうして集まっていつもどんな話をしているのだろうか。
「どんなって、そりゃあ『ふうけ話』よね!」ええと、それはどういう意味……?「何と言ったらいいのかな」「うんとね、つまり、下ネタよ!」なんと(笑)
どういう感じなのか、とりあえず会話を聞き続けていると、そのうち趣味の話題になった。
「私はお花の栽培」「野菜作りだね」「私はパチンコかな。最近は全然していないけどね」「私はしたことないなあ。パチンコの玉のことも知らんし、父ちゃんの玉しか知らん!」と、ワハハハ。そういうことか(笑)
「こんな話が、いちばんいいのさ。人の悪口や噂話なんかじゃなくてね。だって、誰も傷つけないでしょう?」
決して下ネタを鮮やかに繰り出しているだけではなく(笑)その根底には、思いやりにあふれた人の心がある。とびきり豪快なおしゃべりの中に愛や優しさを感じる理由は、そんなところにあるのだろう。
「私なんか、春日に来て最初の5~6年は大人しかったけれど、その後はずっとこんな感じよ。気を遣ってばかりだとキツイでしょう? 自分らしくしていたら、そういう人なんだなって受け入れてもらえるものよ」。
相手が自然体だと、こちらもなんだか楽な気持ちになれる。ありのままでいるということは、自分も周りも幸せになれる秘訣なのかもしれない。
みんな、その時代を懸命に生きている

そうやって長い間暮らしてきた、春日というまちへの思いを聞いてみた。
「もう他の土地に住みたいとは思わないな。周りが私の性格を分かって受け入れてくれて、関係性を積み重ねて生きてきたから。私のこと好いてくれる人がいて、私も好きな人たちがいて、離れたくないな、みんなと」。一人がそんな話をすると、うんうん、私も、と口々に言う。
「ここがいちばんいいよね」「お店なんかもないけれど、便利なところに引っ越したいとは思わないね。買い物したければ車で行けばいいし」。
それにしても、皆さん、強い。それは鋼鉄のような頑丈さではなくて、やわらかな木の枝のように、しなやかで、それでいてどんなに曲げても折れない、そんな強さを感じるのだ。
「まず母親になるとちょっと強くなって、姑さんにイジメられて(笑)また強くなって。私たちの時代は、誰もが辛抱しなくてはいけなかった。一度お嫁に来たらずっとそこに住まなきゃいけない、そういうものだったんだよね」。
慣れない土地で初めての子育て、姑さんとの関係。今の強さがかたちづくられるまでには、きっと想像するよりたくさんの苦労があったのだろう。
「うちのばあちゃん(姑さん)、歳をとってから病気になって入院して、私は毎日お見舞いに行っていたのね。2年くらい経った頃かな、看護師さんが『ほら、お嫁さんが来てくれたよ』とばあちゃんに言うと『ちがう』。『お嫁さんじゃないの?』ともう一回聞いたら『ちがう、娘』って……それね、もっと早く、10年、20年早くその言葉を聞けていたら、どんなに幸せだったかなって……どこの家庭にも事情があると思うけれど、姑と嫁、どちらが悪いなんてことはないのよね。いろいろあったけれど、最後に”我が娘”と思ってくれたなら、よかったかな」。
ここにいるのは、60代から90代の皆さん、20代のharuhi店長、30代のharuhiオーナー(と、40代の筆者)。みんなそれぞれの時代を一所懸命生きてきた。そして、これからも。
そんな一人ひとりの道がこんなふうに交わり、世代を超えた関わり合いが起こって、このまちに新しい風が吹いていく。そうして生まれた空気感が”春日らしさ”につながっているのかもしれない。
いつも待ち遠しい、心が子どもに帰る時

そんな感じで、時にはしみじみ語ったり、また「ふうけ話」に戻ったり(笑)。わいわいおしゃべりしていると、ふいに誰かが「あっ!」。手がすべって、食べていたカレーを少しこぼしたようだ。「歳を取ると、子どもに戻るというよね」。そんなことを言いながら、また笑う。こんなに楽しく過ごしていると、本当に心が子どもに帰れる気がする。
「この会がね、とっても待ち遠しいの。またここに来れると思うから、毎日が楽しい」。
この地に根をはって数十年、それぞれ自分の足で立って、歩み、ときには踏ん張って生きてきた。そんな人たちが、こうして集まり、思いきり笑い合える時間がいつまでも続いてほしいと願わずにはいられない。
時間はあっという間に経ち、そろそろおひらき。名残惜しみつつ、席を立って外へ出ていく。
「あー、よく遊んだ!」「楽しかった!」「じゃあまたね!」
店を出てもなお響き続ける笑い声が、春日の空に溶けていく。その明るさが光のように里山を照らし、まち全体を強く、優しく、包み込んでくれるようだ。
たくさんの経験を重ねながら、自分らしく生きてきた人たちの”ありのままの美しさ”は、これからも春日という地域全体に、そして次の世代を担う人たちに、伝えられていくのだろう。